靖國御祭神の御心 御祭神の靖國神社への思い
靖國御祭神の御心 御祭神の靖國神社への思い
2011.08.15
- 資料
英霊にこたえる会中央本部 広報委員
田中賢一
逸 題
戦陣で歌を詠む
古武士の面影
大和をのこの歌
死を見つめ 心の内
我が肩に祖国あり
やがて赴く靖國の宮
先客の戦友と逢う
うつせみの親兄弟とも
訪れる多くの庶民
我が命この人達の為擲ちし
永遠に幸あれ日本国
田中 賢一
○遺詠に見る靖國神社
(「特攻隊遺詠集」「英霊の言の葉」「将兵万葉集」に拠る)
第一神雷桜花隊海軍一飛曹 島村 中
大君の 辺にこそ散らん 桜花 今度咲く日は 九段の社
第二十振武隊陸軍大尉 長谷川 実
春まだき 九段の花と 咲き散りて 勝ちみ戦の 基ひらかん
第四十三振武隊陸軍少尉 浅川 又之
花と散り 九段に還るを 夢に見つ 敵艦屠らん 我は散るなり
第四十四振武隊 陸軍伍長 清水 定
いざ往かん 弾も敵機も 何かせん 今朝は九段の 花と咲く身は
第四神雷桜花隊海軍一飛曹 富内 敬二
身はたとへ いづくの空に 果つるとも 君の御楯と 散るぞうれしき
菊水部隊天桜隊海軍少尉 田熊 克省
大君の 御楯となりて 吾は今 翼休めん 靖國の森
第六十振武隊 陸軍伍長 若杉 正喜
靖國の 桜となりて 薫る日の 誇りを胸に 秘めて飛び立つ
菊水第五神剣隊海軍中尉 磯貝 巖
靖國の 花と咲かなむ われもまた いくさの庭に 散りし友らと
第八神雷攻撃隊海軍二飛曹 中内 静雄
身はたとへ 南の海に 朽ちぬとも やがて九段の 花と咲くらむ
第百十一振武隊陸軍伍長 近藤 豊
轟沈の 空は青空 靖國に 笑顔で迎える 母の面影
第百十二振武隊陸軍少尉 高村 統一郎
我がつとめ 果して逢はん 九段坂 桜の庭で 姉の待つらむ
第五白菊隊海軍二飛曹 山口 清三郎
神風や 嵐を越えて 靖國の 神苑に咲く 白菊の花
神翔攻撃隊陸軍中尉 座間 重信
大君の 為にぞ散れと 教ふらん 靖國社頭の 若き桜は
義烈空挺隊陸軍軍曹 関 三郎
よしや身は 千々に散るとも 来る春に また咲き出でん 靖國の宮
海上挺進第十七戦隊陸軍伍長 山本正記
靖國の 社にしずまる もののふの み霊に続く 若桜かな
海上挺進第二十六戦隊陸軍曹長 久司博敏
若桜 國の鎮めと 散りしとも 永久に咲きませ 靖國乃花
金剛隊イ三十六潜海軍大尉 加賀谷 武
驕敵を 三途の川まで 吹き飛ばし 身は九段の 華と咲かなむ
金剛隊イ四十七潜海軍中尉 原 俊郎
靖國の 桜と咲かん とこしえに 南の海に 果つるこの身も
愛知航空会社海軍軍属 滝原 清
大君の 国安かれと 祈りつつ われは進まん 靖國の宮
海軍上等水兵 弓野 弦
身はたとへ 千尋の海に 散り果つも 九段の社に 咲くぞうれしき
海軍少佐 高野 次郎
皇國よ 悠久に泰かれと 願いつつ 桜花と共に 靖國に咲く
海軍少佐 福山 正通
たらちねの ちちは迎へん 靖國に 明日はゆくなり 南冥の空
陸軍大尉 都子野 順三郎
靖國の み霊と共に 吾も亦 幾世をかけて み国護らむ
神風特攻神雷部隊海軍少尉 井辰 勉
靖國の 庭に競へる 若桜 我も後れじ 散りて開かん
陸軍軍曹 森下 元美
我もはや 現身にあらす 皇國を 護らし居かし 靖國の魂
陸軍上等兵 久保田 鑑
安らけく 鎮まりませる 靖國の 君の御魂に 今日も語らむ
陸軍曹長 日下 英治
大皇の 醜の御楯と 桜花 散りゆく後ぞ 靖國の神
陸軍曹長 祖父江 昭
数ならぬ 身にはあらねど 靖國の 花と咲くこそ 誉なりけり
○靖國神社発行「英霊の言の葉」に見る靖國神社
・幼い愛児に告げる言葉
神風特別攻撃隊海軍大尉 植村 真久
お前が大きくなって、父に会ひたい時は九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
野戦照空隊第二大隊陸軍伍長 鈴木 三郎
チヅ子、オマヘノ父ハ、イマ、ヤスクニジンジャデ、チヅ子ノゲンキナスガタヲミテヨロコンデイル。
シツカリベンキョウシテ、オトウサンヲ、ヨロコバセテクダサイ。オトウサンニアイタクバ、ヤスクニジンジャヘキナサイ。
・父母、妻への言葉
陸軍兵長 佐々木 良美
妻智佐江ヘ 私モ後顧ノ憂ナク働キ得タノモ、オマヘノ御蔭ダ、感謝スル。今後モ軍人ノ妻ナルコトヲ忘レズ、父母上様ヘ僕ト二人分孝養ヲ尽シテクレ。美佐子ハ頼ム。夫ハ九段ニテ待ツ。
陸軍准尉 北沢 今朝治
妻よ、結婚してより日浅く今別れ行く時ぞ来れり。二人の間に愛児あらばよく賢母たれ。強く正しき教えによって、よしや無きにせば行く末はその意志にまかす。今出て行く処は知らず、何処の地からか幸を祈る。孝養の二字忘るべからず。靖國のお社に会ひに来たれ。桜花は美しきものぞ。(以下略)
海軍二等兵曹 太田 暁
父母へ新年の便り(前半略)
ああ、再び帰ることのない懐かしい故郷の歌声が聞えて来るようです。
あの山、あの川、あの小道、なつかしい想い出ばかりです。
暁も日本帝国海軍軍人として、立派に最後を飾る所存です。
御安心下さい。
何れ靖國神社のお社でお会ひ出来ることを楽しみに致しております。
御両親様、どうか末永くお幸せであられますようお祈り申し上げます。
鉄血勤王隊員県立第一中 豊里 陳雄
母上様に告ぐ
お母さん、首里の都もたうとう戦の庭と化しまして、自分等も鉄血勤王隊として軍服姿に身を固め、米軍撃滅に邁進したのであります。
沖縄の戦場も、何時かは勝ち戦の時期が来るのですから、母上様にはお体を大切にされまして、勝ち戦を待って居て下さい。
自分の事は、如何なる時も御心配しないで下さい。そして、小生を御国の為働かして下さい。自分も良き死場所を見つけて、御国に御奉公するつもりです。
お母さん、自分の働きぶりを見て下さい。
九段の御社で、母上様さようなら
散るべきときに散ってこそ
男と生まれし甲斐はありけり
海軍一等兵曹 中島 恒愛
父母への遺言
征途につくに当り一筆申し上げます。
恒愛は此度、東洋平和の敵米英を撃滅せんと征途につきます。
父母上様、永い間色々と御世話になりました。二十二年の永い年月、無事に御育て下さいました御恩は死んでも忘れは致しません。
しかし乍ら其の間、何一つとして御恩返しの出来なかった恒愛の罪を何卒悪しからず御許し下さい。
弟や妹が御恩返しの出来なかった恒愛の分まで尽くして呉れる事を思うと、何も思ひ残す事は有りません。体の続くかぎり、力の続くかぎり奮闘して、
上 大元帥陛下に最後の御奉公を御尽し申し上る覚悟です。
では父母上様、いつまでも御無事で御元気に末永く御暮らし下さい。
恒愛は靖國の御社で御待ち致して居ります。元気に勇んで征きます。
神風特攻第六神剣隊海軍少尉 斎藤 幸雄
何も思ひ残す事はありません。ただ万歳あるのみです。
お母さん、きっと桜咲く靖國神社に来て下さいね。
いつまでも元気でゐて下さい。
○靖國神社で亡き戦友と会う
毎年四月第一土曜日に大村益次郎の銅像の前で同期の桜を歌う集まりがある。
貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖國神社
春の梢で咲いて会おう
英霊は必ず靖國神社に赴くので、そこに行けば亡き戦友の御霊に会うことが出来る。
陸軍少尉 田沢 清作
亡き戦友の顔
笑っているこの写真!
やるだけ俺はやったんだと
笑っている写真
あこがれの桜花と散ったよと
笑っている写真
これで俺の一生は意義があったんだと
笑っている写真
あとの大東亜は貴様らに頼むぞと
笑っている写真
靖國神社で待っているぞと
笑っている写真
神様になった戦友の
この写真!
神風特攻第五神剣隊海軍大尉 鈴木 欣司
皇國一大難局に直面し、特別攻撃隊に選ばれ、栄誉此上なし。
生前の御恩に幾分なりとも報ゆるを得ば私の幸とするところなり。身は敵艦を砕くとも魂は永久に皇國の隆昌を念じ、皆様の御多幸を祈るのみなり。
愛機零戦と共に仇敵覆滅の出陣に当り記す
願はくは靖國の庭に会はん。
陸軍上等兵 久保田 鑑
今は亡き 戦友の御魂よ 安らけく 鎮まりませよ 靖國の森
親しき戦友今や亡し、哀惜の念切なるものがあります。しかし君が御魂は必ずや祖国を守ってくれる事と信じてゐます。靖國神社で会はふと約したこの心境、戦場に立ったものでなければ判らないものです。
鑑は戦友の霊に大東亜の礎石たらんと誓いました。
○或る特攻隊員の手記
第七十九振武隊陸軍曹長 佐藤 新平
(留魂録と題する日記があるが、四月一日の一部)
お母さんへ
思えば幼い頃から随分と心配ばかりおかけしましたね。腕白をしたり、又何時も不平ばかり言ったり。
眼を閉じると子供の頃のことが、不思議なくらいありありと頭に浮かんで参ります。
悪いことなどすると神様に謝らせられたり又幼いころ「今日の良き日をお守り下さい」「今日の良き日を有難うございました」と毎日拝神のことをやかましく言われたお母さんでした。
今日になり本当にあの頃からお母さんの教育がどんなにか新平の為になった事でしょう。病気で心配をかけたり、又苦学の時も随分と心配をおかけしたり。
苦学と言えば、家を出る時、台所でお母さんが涙を流されたのが、東京にいる間中頭に焼きついて、あの頃どんなにか帰りたかった事かしれませんでした。
お母さんの本当の有難味が判ったのは東京へ出てからでした。あれから余り家に居る事もなく、ゆっくりお母さんに親孝行する機会のなかった事だけは残念です。
軍隊に入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。一度は去年の休暇、二度目は去年の暮近く館林まで来ていただいた時、あの時は新平嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。態々長い旅をリュックサックを背負って会いに来て下さったお母さんを見、何か言うと涙が出そうで、つい態々来なくても良かったのに等と、口では反対の事を言って了ったりして申し訳ありませんでした。
あの時お母さんと東京を歩いた想い出は、極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい想い出になることでしょう。 あの大きな鳥居のあった靖國神社へ今度新平が祀られるのですよ…。手をつないでお参りしましたね。今度休暇で帰った時も、お母さんは飛んで迎えに出て下さいましたね。
去年もそうでした。
(手記はこれで終っている。それから十六日後知覧出撃南海に散っている)
靖國神社の御祭神には祖国の歴史が秘められている
開戦劈頭の真珠湾攻撃で散った英霊、マレー作戦で散華した将兵等、緒戦の華々しい作戦で国に殉じた御祭神は、往時の戦況篤と御存じである。更に戦争末期、南の島で玉砕した英霊、特攻隊として命捧げた御祭神は、言い残すこと多くお持ちであろう。遡れば日露戦争の橘中佐や広瀬中佐と、多くの御祭神にも後世に伝える事があろう。
遠く遡り安政の大獄で刑死した志士達。このように一世紀に亘り国に殉じた神々を祀る社。額突けば、そこに祖国の歴史がある。
祖国の歴史を忘れた民族は滅びる。国史学の泰斗平泉澄先生は言われる。
「歴史は、歴史を尊敬する人に属し、その門を開き、その手を執る。之に反して、無視し軽視する者に対しては、当然その面を蓋い、袂を分つ。先人の情感、意志、努力を尊敬し、その教訓を親愛し、その志業を継承せんとする者に対して、歴史は無限の喜と力を与える。若し一定の公式にあてはめ、物の支配する所として把握しようとすれば、先人に声無く、歴史は影をうつさぬであろう。」父祖の足跡という著書の序文にある言葉であり、一汎論として共鳴するが、前述の靖國御祭神の秘めたる歴史は、祖国存亡に係わるもので、もっと深刻な史実である。
撒き餌をもって民衆を釣り政権の座についた民主党は、靖國神社に参拝せず、「どなたもわだかまりなく戦没者を追悼できる国立の施設を作る」という。わだかまりなくとは、中国に文句言われないことであろう。歴代政府は何故内政干渉をはねつけなかったのか。
国内にもわだかまりが無い訳ではない。東京裁判でA級戦犯として処刑された東條元首相以下が祀られているからだとする。しかしこれは神社が勝手にやったことではない。国の議会が決めたことである。それにも増して、怪しからんのは、戦死したら靖國神社に祀り祭祀は国が行うと約束しておきながら、それが行われないことである。確かに合祀は行われた。しかし春秋の大祭に天皇陛下は勅使を御差し遣わしになるが、政府は知らん顔、鳩山首相は参拝しない。閣僚にも自粛するよう求めている。
政府の態度がどうあろうと、靖國神社に対する国民の尊崇は変わらない。年間の参拝者は六百万人に及ぶという。しかしマスコミはこのことを取り上げない。情ないことだ。
靖國神社に替わる追悼施設を創るというがどんな物を創るのか。靖國神社の尊厳は、そこに戦死者の魂が祀られているからである。代替え施設に魂がある筈がない。戦死者はそんな施設は知らなかったからだ。
もう一つ、靖國神社(初めは東京招魂社と称した)は明治天皇の思召しで創られ、安政の大獄以来国事に殉じた人を祀ってあるが、今度創ろうとする施設はどうするのか。政府当事者の考えを聞きたいものだ。
そんな愚かな考えは下から盛り上がる力で打ち砕き、総理大臣の靖國参拝を定着化し、やがては天皇陛下の御親拝が出来るようにしなければならない。
藤田束湖はいう「天地正大の気粋然として神州に鍾る」と。春秋の筆法を借りれば、憂国の至情粋然として靖國に鍾ると言うべきか。
今次大戦の御祭神悉く吾人と志を共にせし者なれば、社頭に額突けば亡き戦友数多脳裏をよぎる。
拝殿に合掌する若き人々、霊感に結ばれるか、御祭神のみ霊とうつし世の心、帰一する処ぞ靖國の宮
遠つ御祖の御祭神、吉田松陰あり橋本左内あり、藤田東湖をして言わしむれば、「人亡ぶと雖も英霊未だ嘗て泯びず。長へに天地の間に在りて、隠然彝倫を叙ずるを」と。神社創設せられし明治天皇の宸襟知るべし。
(『英霊にこたえる会だより』第45号掲載)
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