靖國百人一首―遺詠に日本人の心を偲ぶ―

靖國百人一首―遺詠に日本人の心を偲ぶ―

2011.08.15

  • 資料

英霊にこたえる会中央本部 広報委員
田中賢一

来る年も 咲いて匂へよ 桜花
われなきあとも 大和島根に
陸軍少尉 長沢 徳治

はじめに

百人一首と言えば、歌留多になっている百人一首を思うが、あれは藤原定家が小倉山荘に在って襖に書いた歌をもとに作ったもので、小倉百人一首とも呼ばれている。

 定家の歌に関する考えは、人の心を詠うことにあり、妖艶さの中に美を見出すという態度であり、道徳とか国家観などということは全く窺えない。

 次に現れたのは愛国百人一首である。この歌集は、昭和十七年、東京日日新聞社と大阪毎日新聞社が主催し、全国民が愛唱する古歌を公募し、一流の歌人や歴史学者等の選考委員によって選定されたものである。飛鳥時代から幕末までの間で詠者が分かっており、愛国の精神が表現されている、というような基準で選定された。

 三番目に挙げるのは、平成十四年に、国語問題協議会が編集した平成百人一首である。この歌集は、我が国の伝統精神を伝えるものとして、記紀万葉時代から終戦後までの秀歌を、時代順に配列したものである。

 嬉しいことに、この歌集には、私も編集に参画した特攻隊員遺詠集から一首載っている。それは、第六十七振武隊隊員で、昭和二十年四月二十八日に出撃した長澤徳治少尉の遺詠で冒頭の歌である。

 両歌集の中から靖國の英霊に直結するような歌を拾ってみる。

 

愛国百人一首より

丈夫の 弓振り起し 射つる矢を
   後見む人は 語り継ぐがね

 千万の 軍なりとも 言挙げせず
   とりて来ぬべき をのことぞ念ふ

 大君の 命かしこみ 磯に触り
   海原わたる 父母おきて

 今日よりは 顧みなくて 大君の
   しこの御楯と 出で立つ吾は

 かへらじと かねて思へば 梓弓
   なき数に入る 名をぞとどむる

平成百人一首より

山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば
   父かと思う 母かと思う

 あられ降り 鹿島の神を 祈りつつ
   皇御軍に 吾は来にしを

 敷島の 大和心を 人問はば
   朝日ににほふ 山ざくら花

 親思う 心にまさる 親ごころ
   けふの音づれ 何ときくらん

 学徒みな 兵となりたり 歩み入る
   広き校舎に 立つ音あらず

本論
一般の御祭神
(特攻と昭和殉難者以外)
《靖國神社発行『英霊の言乃葉』に拠る》

海軍上等水兵 弓野 弦
 身はたとえ 千尋の海に 散り果つも
   九段の社に さくぞうれしき

海軍大尉 石川 延雄
 面たれて 涙かくせる 吾が妻の
   こころくみてぞ いざたち征かん

陸軍中尉 折口 春洋
 かくばかり 世界全土に すさまじき
   いくさの果ては 誰が見るべき

海軍中尉 西田 高光
 この土の つらなる果てに 母ありて
   明日の壮挙の 成るを祈るらん

元帥海軍大将 山本 五十六
 益良雄の ゆくとふ道を ゆききはめ
   わが若人ら つひにかへらず

陸軍大将 牛島 満
 矢弾尽き 天地染めて 散るとても
   魂かへりつつ 皇国護らむ

陸軍大将 栗林 忠道
 国のため 重きつとめを 果たし得で
   矢弾つき果て 散るぞかなしき

陸軍中将 那須 弓雄
 男子われ 防人となる 甲斐ぞあれ
   東半球の 果てに死ぬれば

海軍軍属 滝原 清
 大君の 国安かれと 祈りつつ
   われは進まむ 靖國の宮

陸軍上等兵 小渡 壮一
 身はたとへ この沖縄に 果つるとも
   七度生まれて 敵亡ぼさん

日赤救護看護婦 西沢 渡弥
 血に染みて ちぎれちぎれの 軍服を
   脱がせつつわれ なぐさめかねつる

陸軍上等兵 今野 留十郎
 身はたとへ 北氷の露と 消ゆるとも
   大和桜の 色は変はらじ

海軍少佐 根尾 久男
 吹く毎に 散りて行くらむ 桜花
   積りつもりて 国は動かじ

陸軍兵長 坪川 満
 山桜 ほのかに匂ふ この朝け
   天つ日影を つつしむ我は

海軍少佐 高野 次郎
 皇国よ 悠久に泰かれと 願ひつつ
   桜花と共に 靖國に咲く

陸軍少尉 若尾 達夫
 若桜 春をも待たで 散りしゆく
   嵐の中に 枝をはなれて

海軍上等飛行兵曹 高崎 文雄
 みんなみの 雲染む果てに 散らんとも
   くにの野花と われは咲きたし

陸軍少尉 篠崎 龍則
 大君の 任のまにまに 丈夫は
   銃取りもちて 出で立つぞ今

陸軍伍長 宮本 宣胤
 垂乳根の 母の命よ 小休止の
   路上の夢に 出で来給ひし

陸軍中尉 溝渕 卓
 たのしみは 消灯前の ひとときを
   故郷のたより 読み耽るとき

陸軍中尉 平野 和美
 年寄りて 尚続け給う 荒仕事
   吾が母君は 尊くもあるか

陸軍大尉 小山 幸一
 月見れば しじに偲ばる はるかなる
   父母いかに 兄やいかにと

陸軍伍長 五十嵐 竹輝
 仰ぎ見る 月ぞ尊し 我が父母も
   故国の空に 我を想はむ

陸軍大将 阿南 惟幾
 大君の 深き惠みに あみし身は
   言ひ残すべき 片言もなし

陸軍上等兵 沖 源八郎
 大君に 仕えまつれと 我を生みし
   我がたらちねの 尊かりけり

陸軍軍曹 森下 元美
 君の爲 皇御国の 男子我れ
   何地なりとも 屍曝さん

特攻戦没の御祭神
(特攻協会発行『特攻隊遺詠集』に拠る)
《航空特攻》

第一神風敷島隊 海軍一等飛行兵曹 谷 暢夫
 身はかろく 務め重きを 思うとき
   今は敵艦に ただ体当たり

第一神風山桜隊 海軍一等飛行兵曹 滝沢 光雄
 蕾にて 散るも又よし 桜木の
   根の絶ゆること なきを思へば

第一神風葉桜隊 海軍一等飛行兵曹 広田 幸宣
 国の爲 征く身なりとは 知りながら
   故郷にて祈る 父母ぞ悲し

富嶽隊長 陸軍少佐 西尾 常三郎
 母君よ 嘆き給ふな 父君に
   家の栄えを ゆきて先ず告げむ

石腸隊 陸軍少尉 井樋 太郎
 数ならぬ 身にはあれども 日の本の
   歴史書くてふ その一しづく

勤皇隊長 陸軍中尉 山本 卓美
 わが後に つづかむ者の 数多あれば
   とはにゆるがし 皇御国は

神風第二御楯隊 海軍大尉 村川 弘
  母上の 御手の霜焼 いかならんと
   見上げる空に 春の動ける

第一神雷桜花隊 海軍中尉 緒方 襄
 兄も行け 我も果てなむ 君の辺に
   悉々果てむ 我が家の風

第二十振武隊 陸軍大尉 長谷川 真
 春まだき 九段の花と 咲き散りて
   勝ちみ戦の 基ひらかん

誠第三十七隊 陸軍少尉 小林 敏男
 死出の旅と 知りても母は 笑顔にて
   送りてくれぬ 我くに去る日

第六十七振武隊 陸軍少尉 長沢 徳治
 来る年も 咲きて匂へよ 桜花
   われなきあとも 大和島根に

菊水三号八幡神忠隊 海軍少尉 大石 政則
 もろもろの 装ひつけて 国のため
   いで立つ姿 母に見せばや

第五十一振武隊 陸軍少尉 光山 文博
 たらちねの 母のみもとぞ しのばるる
   弥生の空の 春霞かな

第五十五振武隊 陸軍少尉 鷲尾 克巳
 告げもせで 帰る戒衣の 我が肩に
   もろ手をかけて 笑ます母かも

《空挺特攻》

薫空挺隊長 陸軍中尉 中 重男
 身はたとへ 敵の真中に 散りぬとも
   魂はとどめて 皇国護らん

 次の歌は、挺進第三聯隊がレイテに降下するため、サンフェルナンドの宿舎を出たとき壁に書き残してあった。

詠人不知
 花負ひて 空うち征かん 雲染めん
   屍悔いなく 吾等散るなり

 次の歌は、戦局がいよいよ苛烈になった昭和十九年中頃、挺進練習部の構内にあった独身将校宿舎の廊下に張り出されていたもので、それから間もなく動員が下令され、この将校達は比島に行き、殆んどが戦死した。

詠人不知
 いつ征くか いつ散るのかは 知らねども
   今日のつとめに 我は励まん

挺進第三聯隊中隊長 陸軍大尉 桂 善彦
 あらはさん 時は来にけり 千早振る
   神に仕えし 太刀のほまれを

義烈空挺隊長 陸軍大尉 奥山 道郎
 大皇の 御楯となりて 死なむ身の
   心は常に たのしかりけり

義烈空挺隊 陸軍大尉 渡部 利夫
 かねてより 祈りしときに 今会ひて
   心の中ぞ うれしかりける

義烈空挺三独飛 陸軍中尉 町田 一郎
 あらはさん 秋は来にけり 丈夫が
   とぎしつるぎの 清きひかりを

宇津木五郎
 いかならん 事に会ひても たゆまぬは
   わがしきしまの やまとだましい

義烈空挺隊  陸軍少尉 梶原 哲巳
 魁けて 梅とわが身の 散りゆかば
   後に続かん 桜花かな

義烈空挺隊 陸軍曹長 今村 美好
 奥山に 名もなき花と 咲きたれど
   散りてこの世に 香りとどめん

義烈空挺隊  陸軍軍曹 関 三郎
 よしや身は 千々に散るとも 来る春に
   また咲き出でん 靖國の宮

《水上特攻》

海上挺進第十七戦隊 陸軍伍長 竹島 豊普
 身はたとえ 海の藻屑と 化するとも
   心は永久に 御国護らん

海上挺進第十六戦隊 陸軍大尉 上野 義現
 八紘を 一宇となさん 大業の
   先手となりて 進む嬉しさ

第九震洋隊長 海軍中尉 中島 健児
 国思う 我が真心は 梓弓
   弦を離れし 矢の一筋に

《水中特攻 特潜》

真珠湾攻撃 海軍大尉 岩佐 直治
 桜花 散るべき時に 散りてこそ
   大和の花と 賞らるるらん

真珠湾攻撃 海軍中尉 古野 繁實
 いざ行かむ 網も機雷も 乗り越えて
   撃ちて真珠の 玉と砕けむ

シドニー攻撃 海軍大尉 松尾 敬宇
 益良雄の 行くとふ道を 征きに征き
   安めまつらん 大御心を

《水中特攻 回天》

回天開発者 海軍大尉 黒木 博司
 国を思ひ 死ぬに死なれぬ 益良雄が
   友々呼びつ 死してゆくらん

菊水隊伊四十七潜 海軍中尉 仁科 関夫
 末遂に 海となるべき 山水も
   しばし木の葉の 下くぐるなり

金剛隊伊三十六潜 海軍中尉 都所 靜世
 君がため 死すべき秋に 生まれける
   己が命を など惜しむべき

金剛隊伊五十八潜 海軍中尉 石川 誠三
 母上よ 消しゴム買うよ 二銭給へと
   貧をしのぎし あの日懐かし

金剛隊伊四十八潜 海軍少尉 塚本 太郎
 物言はで 我も得言はず 別れ来し
   父なつかしく 思う蝉の音

多聞隊伊五十三潜 海軍一飛曹 川尻 勉
 気は澄みて 心のどけき 今朝の空
   散りゆく身とは さらに思はず

昭和殉難者
(「英霊の言乃葉」及び「世紀の遺書」に拠る)

広東にて 陸軍大尉 掘本 武男
 悠久の 大義に生くる 道にして
   我は逝くなり 物思ひもせず

マニラにて 陸軍中将 本間 雅晴
 戦友等眠る バタンの山を 眺めつつ
   マニラの土と なるもまたよし

巣鴨にて 陸軍大尉 都子野順三郎
 己が身の おぼえなきこと 聞かるれど
   いかに答へん 言の葉もなし

ラングーンにて 陸軍憲兵中尉 塩田 源二
 遺書を読む 父母の心 思うとき
   はるかに居ます 方ぞをろがむ

シンガポールにて 陸軍憲兵曹長 辻 豊治
 故郷の 八十路に近き 両親は
   今日の音づれ 何と聞くらむ

広東にて 陸軍憲兵軍曹 山田 恒義
 征く日より ささげし生命 惜しまねど
   口惜しき科を 如何にとやせむ

ラバウルにて 海軍嘱託 佐藤 彦重
 防人に あらねど吾は み戦に
   尽せし心 誰か知るらむ

スマトラにて 陸軍中将 田辺 盛武
 名もすてし 朽木の桜 時を得て
   又咲き匂ふ 春は来れり

広東にて 陸軍兵長 小場 安雄
 ますらをの みち果してぞ 重き罪
   背負ひ逝くなり もの想ひもせず

広州にて 陸軍憲兵大尉 市川 正
 そのかみの もののふの如く 我もまた
   死の宣告を 微笑みて受く

広東にて 陸軍中尉 外山 文二
 科なくて 逝きし友等に 天神の
   雷怒りて 宵なり止まず

広東にて 陸軍大尉 日高 保清
 大君の 御楯たらんと 励めども
   果し得ずして 獄舎にぞ哭く

広東にて 陸軍少将 平野 儀一
 今宵より 仏華のうてなに 住居して
   真如の月を めでる楽しさ

グロドックにて 陸軍軍医大尉 山根 重由
 後れしが 我今ぞ逝く みいくさに
   散りし勇士の みたましたいて

セレベスにて 陸軍憲兵曹長 伊東 義光
 いにしえも かかるためしの あるものを
   何か嘆かん もののふにして

セレベスにて 陸軍憲兵大尉 大柴 林
 これやこれ 刑場に行く 此の道は
   男一世の 花の道かな

バタビヤにて 海軍大尉 村上 博
 ふるさとに 我を待つらむ 年老いし
   母の心に やすらひぞあれ

蘭印にて 陸軍憲兵軍曹 鈴木千代喜
 ますらをの 常に習ひし 道筋と
   思へば心 涼しかりけり

バリックパパンにて 海軍大佐 三善 孝
 銃先に 明日立つ今日の 我が心
   明鏡の如し 莞爾と死なむ

メナドにて 海軍少将 浜中 匡甫
 責めとりて 逝く身は清き メナド原
   そよ吹く風に 胸ぞ涼しき

モロタイにて  陸軍大尉 菅原 功
 曇りなき 月を眺めて 思うかな
   わが心境は この月のごと

御祭神の遺族の歌
(「特攻隊遺詠集」『和歌に見る日本の心』等に拠る)

石腸隊・安達貢少尉の母サク
 やむわれを 桔梗手折りきて 慰めし
   優しき吾子は 永遠にかへらず

一宇隊・天野三郎少尉の妹和子
 靖國の 社に向かいて 合掌す
   レイテの島に 散りし兄見ゆ

勤王隊・大村秀一伍長の母
 悠久の 大義に生きし 空の子は
   生なく死なく 母親もなし

護国隊・牧野顕吉少尉の姉くみ
 勲章の リボンの色褪せ 南溟に
   果てし弟の いさをはかなむ

第一神雷隊・緒方襄中尉の母三和代
 散る花の いさぎよきをば めでつつも
   母のこころは かなしかりけり

要務中殉職した石川一彦中尉の妻ふさ江
 遺品の手帳 繰れど特攻の 文字なく
   ト号という暗号 今にして知る

第六十八振武隊山口怡一少尉の妹 筒井純子
 色褪せし 兄のうつしゑの ほほえみに
   懐かしさこみあげ 指にて撫づる

第百五振武隊林義則少尉の許婚者 小栗 楓
 亡き人の 数に入れるか 今日よりは
   戸籍の朱線 胸に痛しも

八幡神忠隊大石政則少尉の母トク
 はろばろと 来し方顧れば 天がけし
   白マフラーの 子の笑顔顕つ

第六十六振武隊後藤光春少尉の弟慶生
 この空よ 亡兄も仰いだ この空よ
   空は変らず 何処におわす

第四十九振武隊伊奈剛次郎少尉の父
 かがまりて 粉ひく妻の 髪白し
   いのちなげうちし 子をば語らず

挺進第三聯隊大川准尉の妻真理子
 さらばとて 夫の握れる たくましき
   み手のぬくもり 今も残れる

挺進第三聯隊梅野九中尉の妻チヨ子
 亡き夫と 春の一日 貝掘りし
   日向の浜辺 吾子の旅行く

挺進第三聯隊中野光義中尉の妻知枝
 迎え火を たけばとと様 飛行機に
   乗って来るかと 吾子は問うなり

以下『和歌に見る日本の心』より、この本には詠者の記載はない。
以下すべて妻の歌である。

 この果てに 君ある如く 思はれて
   春の渚に しばしたたずむ

 亡き夫の 恋ほしくなりて 涙出ず
   花梨の実黄色に なりし畑に

 カビエングの 椰子の葉陰も 歩みしか
   遺品の靴ゆ こぼれ落ちる砂

 この骨は 拾うすべなし シッタン河の
   砂一握を 骨とするてふ

 行きずりの 人の面影に かよへれば
   せつなきまでに 君よみがへる

 咳の あまりに似たり しばらくは
   顧み彳む 師走の街に

 妻となり 君に仕えし 我の日の
   短かかりしよ 今に思へば

 帰る日まで この家に居よと 直ぐ帰る
   如く言ひて 征きし君はも

 淡かりし 縁の亡夫を 憶ふ日に
   わが引く草の どれも実をもつ

 吾子が名を 呼ばはり給う 御声さへ
   聞ゆる如し 天生れし家

 かくばかり みにくき国と なりたれば
   捧し人の ただに惜しまる

逸題

――危い哉祖国―― 田中 賢一
沖縄県の慰霊行事に参加した福田首相のこと

 六月二十三日は沖縄慰霊の日で、現地では摩文仁の会場で県知事主催の盛大な「沖縄戦全戦没者追悼式」が行われる。新聞の報ずるところに拠れば、昨年臨席した福田首相は挨拶で次の通り言ったという。「沖縄戦では二〇万人もの方々の命が奪われた。県民の筆舌に尽くしがたい苦難に胸ふさがる気持を禁じ得ない云々」と。

 この挨拶文を起案した官僚は、二〇万という数字はよく調べて採ったことであろう。事実公刊戦史によれば、地上戦闘で戦死した軍人は六・五万、現地の住民の死者は一〇万となっており、それに本土から出撃した特攻隊を加えれば、二〇万を越すと思うので、誤りではない。しかしその内訳を首相は知っていたのであろうか。知っていて二〇万もの方々の命が奪われたと言うのは、散華した特攻隊員始め国家のため一命を捧げた軍人に対し礼を失したものであり、また軍に従った殉国学徒の精神を踏みにじるものではなかろうか。殉国者の気持を端的に表した遺言を掲げてみよう。

●大石政則少尉は東京帝国大学法学部二年在学中に学徒動員で海軍に入り、第十四期飛行予備学生となり任官、八幡神忠隊に属し、二〇年四月二十八日九七艦攻に搭乗し串良を発進、那覇近海の敵艦船に突入散華した。彼が母親に宛てた遺書の一節、

「一二三〇発進、沖縄周辺の敵輸送船に対し痛快なる突入を決行します。仮令途中で撃墜されることがあっても、戦果はなくとも、二十代の若武者が次から次への特攻攻撃を連続し、ますらをの命をつみ重ねつみ重ねして大和島根を守りぬくことができれば、幸ではありませんか」

 特攻の御霊は命を奪われたと言われたことに怒り給うであろう。

 大石少尉の御母堂(平成二年九十六歳)の愛児を偲ぶ歌を「靖國百人一首」の遺族の歌の中に掲げている。純正日本人の気持を深刻に理解できるであろう。

次は戦没学徒の御心について
 沖縄第二高等女学校白梅隊
   戦死した大嶺美枝の遺書

「お母様、いよいよ私達女性も、学徒看護隊として出動出来ますことを、心から喜んでおります。お母様も喜んで下さい。

 私は『皇国は不滅である』との信念に燃え、生き伸びて来ました。軍と協力して働けるのはいつの日かと待っておりました。いよいよそれが私達に報いられたのです。何と私達は幸福でせう。大君に帰一し奉るに当って、私達はもっともいい機会を与えられました。しっかりやる心算でおります。(中略)

 散るべき時には立派な桜花になって散る積りです。その時は家の子は『偉かった』と賞めて下さい。(以下略)」

 殉国学徒の人達も、命を奪われたなどと言われては心外であろう。

八月十五日の戦没者追悼式典での総理大臣と衆参両院議長の式辞
 昨年も終戦の日には天皇・皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者追悼式が行われた。新聞の報道を見ると首題の三人の式辞の内容は何処の国の戦没者追悼式に臨んでの挨拶かと首をかしげざるを得なかった。福田首相は言う「アジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。深い反省と哀悼の意を示す」と、靖國神社に鎮ります御英霊の神罰を被るのではないだろうか。江田参議院議長は言う「我が国の侵略行為と植民地支配により、アジアの諸国をはじめ広い地域の人々にも多大の苦しみと悲しみを与えた」と、戦没者とは戦死者だけではないが、外地においてお国の為一命を捧げた英霊は仰るだろう。「そんなことどこかほかの場所でしゃべってくれ」と。

 宮澤内閣の官房長官時代、韓国人の慰安婦問題での「河野談話」で多大の国益を損ね、衆議院議長として小泉首相の靖國神社参拝をやめさせるようなことを言っていた河野衆議院議長はこの日の式辞において「歴史的背景を持つ未解決問題がとげとなり、我が国と近隣諸国との間でいまだ摩擦が起きている現状を踏まえると、政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一つにして追悼できる施設の設置について真剣に検討することが強く求められる」と。靖國神社に替わる慰霊施設を建てることを言っているのだろうが、自分がどう思うかは勝手であるが、何でそれが戦没者を追悼する式辞となるのか、この式に参加する為地方から出てきた人々の多くは、この日靖國神社に参拝し、靖國神社こそわが国唯一の英霊の慰霊施設であるとの思いを抱いていることを承知しているのであろうか。いずれにせよ、この三人の式辞は、八月十五日の戦没者追悼式を何と心得ているのかと断ぜざるを得ない。

靖國神社の桜

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